第四頁 射す光、照らす光
体調を崩して、大学を半年休学することにした。切望していた穏やかな日々だ。
冷静になってみれば、これまでの何もかもが地続きだった。病院などで「原因と思われることはありますか?」と問われても、正直なところ問題が絡まり合いすぎてよく分からない。その解けない塊のことばかり考えているから、今更それについての文章を考えるのも面倒だ。とにかく私の手足に下がっていた鉛はもうない。それを引き摺る体力もなく、眼前に砂時計の砂が滑り落ちるのを感じる切迫感も。
時たま、あの切迫感は自分が望んで陥っていたのではないかという気がすることがある。文学でも映画でも、あらゆる創作物で、強烈な打撃を与えてくるものが好きだった。あまりの鋭さに感覚が傷付けられることに中毒的な喜びを得ていた。
その頃(と言ってもかなり最近の話だ…)、私は李賀に陶酔していた。
あの感性!
老兎寒蟾泣寒色
雲楼半開壁斜白*1
李賀の「夢天」・第二句は「強烈な打撃」だった。なんて静かな描写だろうと思った。月世界に聳える楼閣、その扉が少しばかり開いて白い光が射し込んでいる。光と闇のコントラスト。想像される静寂。たった漢字七文字、しかも七言律詩のまだ二句目が持つ余韻に魅了されてしまった。
そんな調子だったから、講義で王維の詩が紹介された時、私にはその良さが分からなかった。嫌いではない。ただ「のんびりした詩だなあ」という印象を持った程度だった。
例えば「竹里館」。
深林人不知
明月来相照*2
同じ月光についての表現なのに、王維と李賀とはかなり違う。(李賀の「夢天」で描写されている月世界の光も”月”光と言っていいのかはさておき。)「竹里館」で表現された光も静寂を湛えている。そこは理解できた。しかし限りなく優しい。ここが正直物足りなかった。
病気になった今、昔の自分が物足りなく感じた「照らす光」にとても惹かれている。それまで生きる糧でさえあった創作物を受け止めるのが苦しくなって、ようやく王維の詩の良さを私なりに実感できるようになった。表現の良さが、感性が殴られる衝撃としてではなく、染み入るように穏やかな心持ちで感じられる。
射す光と照らす光。今でも李賀の詩が好きだ。今まで衝撃を受けてきた他のどの文学作品も嫌いになったわけではない。そして、王維の詩も好きになった。私の大きな喜びと同時に大きな苦しみでもあった創作物と、この先の一生息長く向き合える可能性を王維は与えてくれたと思おう。